Chapter1 市民の善の力を拡大する法の力

 

個人が行ずる善行の効力を拡大、
強化するためには

国際社会で起こることは、そのほとんとが
個人の手が届かない巨大スケールで起こる
ことが多いので、人々は多くの場合、
 「これらの問題は、もともと個人に
 とっては巨大すぎて解決不能な問題」
と考えることがある。たとえば。国と国と
の大規模な対立、戦争、紛争、また、昨今
の米中関係に見られるような「巨額な貿易
摩擦問題」等もその類いである。また、
近年においては、世界的に感染を広める
コロナウィルスの問題もその一つである。

こうした場合、個人が国際社会で起こるよう
な規模の大きな問題に対して効力のある形で、
取り組めるようにするには、どうしたら
よいか――。
それにはまず第一に、個人が善を行ずる。
悪を行ぜず善を行ずる。
このことが最も基本となる。また、それが
出発点である。
しかし、個人が行じた善の行為の効力が、
社会に広く及ばない時は、どうするか――。
たとえば、個人の行動範囲が、はるかに届か
ないような遠い所とか、巨大資本・巨大
スケールの世界で、大きな力によって悪とか
悪行が行われた場合、どのように、個人は
それらを防ぐか――。
紛争や戦争もその類いである。実際、テロ事件
などは個人の手が届かないような遠い所で発生
する。ウィルスの問題も同じである。
そして多くの犠牲者を出し、国際社会に
多くの障害と不幸をもたらす。したがって、
それぞれの個人が行ずる善行を強化し、拡大し、
その善行の効力が広く社会の隅々にまで及ぶよう
にしなければならない。

法の力を用いる

この問題を解決するためには「法の力
を用いる。なぜなら法には個人が行ずる
行為の力とかその効力を大きく拡大させ
たり、強化したりする力があるからで
ある。
たとえば、世の中には、科学の法、
医学の法、法律の法、経済とか経営の
法、芸術活動や芸能活動などを行う時
の専門法など、多種多様な法が存在
する。これらの法は、それぞれの専門
分野にあって、人の智慧と行為の力を
拡大させたり、強化する力がある。
この「法そのものが備える効力」を
用いるのである。
例えを挙げれば、法律家や弁護士は、
法律という「法の力」を基盤に置いて
智慧力を発揮するので、素人では解決
困難な様々な 社会問題や複雑な問題を
解決に導くことができる。もちろん
その場合、問題を解決させるのは法律家
自身の力に負うところも大きいが、その
智慧の背後に法律という「法の力」が
働いている。
医療の分野にあっても、医者は医学の法
に基づいて智慧を発揮して患者の治療に
あたるので、種々の病や難病を治すこと
が可能となる。もちろん医師本人の力や
才能に依るところも大きいが、長年の
研究の蓄積と工夫によって確立された
医学の法の力」が、治療に作用してい
ることは否定できない事実である。
このことは科学技術の分野では、さらに
顕著である。この点、今日の科学技術が、
人間の力と能力を拡大させた歴史は三期
に分類することができる。

第一期目は科学技術が人間の「筋肉」の
働きの代行を務めた時期である。即ち
20世紀初頭に登場した自動車や航空機、
家電製品に始まり、近年はその延長から、
産業用ロボットなどが開発され、作業者
の重労働が軽減された。

第二期目は、科学技術が人間の「神経」の
代行を務めた時期である。音や光、温度、
圧力などさまざまものを測る「センサー」
が登場して、人間の「神経や感覚器官」の
代行を務めた。また、拡大させた。
一枚の電子カードで、買い物の支払いを
済ませたり、駅の改札口を通過できたり、
携帯の画面をワンタッチすることで、広大
なネット世界を検索し、種々のアプリを
使用できるのは、その働きに依る。

第三期目は、今日のAIやインターネットの
普及によって人類の知識を蓄える「頭脳
が大きく拡張された時期である。スーパー
コンピューターや量子コンピューターの
出現は、人類社会の頭脳の地平線を、
さらに大きく拡大しようとしている。

以上のように、種々の専門分野に存在する
「法の力」は、それぞれに人間の行動力や
智慧力を拡大・強化する力を備えている。
ただし、それらの専門法の力が作用する
範囲は、それぞれの専門分野の中に限られ
ることが多い。万能ではない。その作用範囲
は部分的である。その点をよく考慮に入れて、
それらを用いる必要がある。

仏性(ぶっしょう)の存在

次に、国際社会で生ずるような様々な
スケールの大きな問題、また、複雑で、
多岐にわたり、根が深い問題の解決に
あたっては、上で語ったような各専門分野
の専門法を用いると同時に、さらに全体的
で、広範囲に、円満に作用する、より強力
な法が求められる。
それは「仏性―Buddha-Nature 」の存在
である。
一切現象世界には仏性が具わっている。 
しかも、仏性は現象世界の中に「法」とし
て備わっている。

Buddha Natureは、ふつう「仏の特性」
と訳される。しかし、その実体は

・ 宇宙・人生の本源の法
・ この世に存在するすべての法
  の本体
・ 一切現象の本体――すべての
  現象の生成消滅の経過を管理
  する法

等と定義される。
誰の心にも、この仏性の法が備わっている。
しかし、人の心ばかりでなく、一切現象に
もそれは備わっているのである。たとえば
目の前にある机、机の上のペン、灰皿、
物質、周囲の 空間、人の言動、車の動き、
社会の動向、風、雲、天候、地球、惑星、
恒星、銀河、はては果てしない宇宙空間に
至るまで。およそ物質やエネルギー、現象
の起こりが存在する所、この根源の法であ
る仏性の法が備わっている。
したがって、たとえば個人が、その
「仏性の法」とつながることができれば、
各個人が行ずる善行の効力を、一切の現象
世界の全体にまで大きく、拡大・強化する
ことが可能となる。原理的には、先に
語った法律家や医師の事例と同じように。
各個人は、現象世界全体に備わる仏性の法
を通して、善を行ずるので、その効力は
仏性の法に乗じて(乗って)、現象世界の
全体に及ぶ――という原理である。

例えをもって語る

ただし、「一切現象世界に仏性の法が
備わる」ということは、例えをもって
語れば、次のようなことなのである。 

仏性は一切現象世界に備わっている
わけであるから、仏性にとって現実の
現象を動かしたり、組み変えたりする
ことはそれ程、むずかしいことでは
ない。
「一切現象世界に仏性が備わる」とい
うことは、即ちそのようなことである。

たとえば今、ある営業マンが、外で
仕事を探して歩いていたとする。 
あるいは社内で電話による営業活動を
しているということであってもよい。
その場合「仏性」がその気になれば、
現象の動きを組み変え、再編して、
その人のところへ良い客を差し向け
たり、稀なビジネス・チャンスをもた
らしたりすることができるのである。
また、夫婦の関係であれば、ふだん
気むずかしくて、不機嫌であることが
多い夫を機嫌よくさせることもできる。
逆に、妻の態度や言葉遣いを丁寧な
心のこもったものへと変えることも
可能である。
この場合、大事な点は、仏性は夫の
機嫌よくするために、その背景の
出来事、たとえば会社内での出来事
とか人間関係、会社を取り巻く景気
動向や社会情勢・国際情勢、果ては
天候などの自然現象に至るまで、
すべてを組み変えてしまう。一つの
現象を組み変えるということは、
まさしくそのようなことである。
逆に言えば、世の中の景気が悪い、
会社の経営状態も良くない、給料も
減額される。このような状態で、
どうしてあなたは不機嫌な夫の心を
機嫌よくさせることができるであろ
うか。
従って、一つの現象を汲み変えるため
には、その背後で関連している無数の
現象も、組み変える必要が出てくる。
そうした無数の現象を自在に再編成
する力がなければ、一つの現象を組み
変えることはできないのである。
そのような再編成ということになると、
現象世界全般に備わる  仏性と連結する
か、あるいは仏性を動かさなければ、
できないことである。

ただし、注意していただきたい事は、
私がこれまで語ったことは、あなたが
仏性に「あなたを助けたい」と思わせ
ることができた場合である。
もし、あなたが仏性に、そのように
思わせることができなければ、仏性が
あなたを援助したり、加勢したりする
理由は何も無い。では、どうしたら
あなたは仏性に「あなたを助けたい」
と思わせることができるので
あろうか――
仏性に、そのように思わせるためには、
あなたが、仏性が日頃から望んでいる
ことを、率先して行なってしまえば
よいのである。 
では、仏性は何を望んでいるのか――
仏性は、日頃から、より多くの人が
幸福になることを望んでいる。また
「全世界の人々を幸福に導きたい」と
考えている。
であるならば、あなたが、そのための
具体的な作業を、率先して行なって
しまえばよいのである。あるいはまた、
それぞれの個人が、それぞれの立場で、
そのことを具体的に行ってしまえば
よいのである。そうすれば、あなたは
仏性を味方にすることができる。
では、その「具体的な作業」とは、
どのような作業か――。

 仏性を喜ばせる二行

要約すると、仏性が人々に
「行ってほしい」と望んでいる作業は、
基本的に次の二行である。

行為① (Acts①) 

一つは、前回の記事で語ったこと
であるが、「すべての市民の幸福を
願って慈悲心を発すること」である。
ただし、仏性の望みを動かす行為と
しては、「すべての生存に対して
慈悲心を発する」という言葉の方が
よい。それの方が適切である。
なぜなら、その方が仏性の本質的特性
である「万物への慈悲心」の意味に
近いからである。
また、地球上に住す生命存在は人間
だけではない。人間が幸福に生きて
いくためには、人間は人間以外の生命、
並びに出来事、物質、現象と共存して
いる事実がある。従って「すべての生存」
と言えば、すべての市民の幸福と、
それに関連するすべての物質及び
出来事への慈悲心が含まれる。また
「動・植物への愛護の心」や「万物へ
の愛」もそこに含まれる。
大事なポイントは、市民が、この
「すべての生存への慈悲心」を発す
ると、仏性は現象世界を再編成して、
国際社会の中に、「良い状況」や
「新しいトレンド」を生み出すとい
う事実である。なぜ仏性は、そう
するかというと、人間の幸福を含め、
「すべて生存にあなたが慈悲心を発す
ること」は、上で語った「すべての
人々を幸福に導きたい」という仏性
の意向・望みと一致するからである。
仏性は、この心が人々の間で発揮さ
れると「この人は私の望みを具体化
してくれた」と考える。そして、
その返礼として、それらの人々が
住んでいる社会環境の中に、新しい
良きトレンドを起こすのである。
もちろん、慈悲心を発した個人の
生活環境の中に「良い状況」を
作り出すこともある。いずれにし
ても、それらのことが、その人たち
にプラスに働き、幸福のためになる
からである。
私は前回の投稿で、「あなたが発す
る慈悲心は天蓋のように世界を広く
おおう」と述べたが、このことも
一切現象世界の備わる仏性を通して
市民が発した慈悲心の力が、広く
拡大され、強化されるからである。

行為② (Acts②) 

二つ目は、「仏性についての
正しい情報」を、よく検索したり、
よく読んだり、それについてよく
考えたり、よく書いたり、プリント
して残したり、人に解説したりする
仕事を行うことである。あるいは、
そのどれか一つを行うことである。
なぜ、それが仏性を喜ばせ、仏性の
意向・願望に適うのか、というと、
ここでは2つの理由を挙げる。 

1つは、仏性についての正しい情報
を整理して、プリントし、データと
して残せば、(あるいは人に語って
残せば)、それは未来に長く残る。  
そして1年後、10年後、100年後、
1000年後に、それを読んだ人は、  
その情報から「仏性の存在」を知る。
また、仏性とつながる方法を、その
情報から得て、自ら行ずる「善の力」
を拡大・強化させる。そして、内外の
種々の問題を解決していく。そして、
自らの幸福も開いていく。故に、
それらのことを行えば、その仕事は
「現在から未来に向けて、より多くの
人を幸福に導きたい」とする仏性の
願望と一致し、仏性を喜ばせるので
ある。   

2つ目は、仏性についての正しい情報
をよくまとめ、データとして未来に
残すという仕事は、上で語った行為①
―Act① の慈悲行をよくサポートする
からである。
単に慈悲心を発するということだけ
では、人は「なぜ、慈悲心を発する
必要があるのか」という理由がわから
ない。理由がわからずに慈悲心だけを
発しても、力が入らない。従って、
その理由を正しく、論理的に伝えるの
が、Acts②の仕事であり役目である。

即ち、Acts①は、慈悲の行為であるの
に対して、Acts②は、智慧による行為
である。Acts①は、Acts②の智慧力の
サポートを受けて、初めて力強く
「一切衆生への慈悲心」を発することが
できる。
仏性も、(あなたが)すべての生存ーー
一切衆生の意味ーーに慈悲心を発する時
は、力強く、深く、継続的に発していか
ないと、(あなたに)返礼を返ってこない。
このように、慈悲の心を力強く、深く、
継続的に発っすることは、実際は、
智慧の力によるところが大きいのである。

以上のような理由で、仏性は人がAct①
とActs②の両方の行為をバランスよく
行って、初めて現象世界を再編成して、
あなたの周囲を取り巻く会社状況や
社会情勢を改善するのである。と同時に、
あなたの人間関係も良い方向に改善する
ことであろう。

仏性があなたの人間関係を
改善する時の形

なぜ人間関係かというと、現代社会の
不幸とか苦しみの大部分が、人間関係
から生ずるという現実があるからで
ある。
たとえば、あなたが社会的な地位を
持つ人であれば、「上司並びに部下と
の関係」が、いかに大事かがわかる
はずである。
上司との関係がスムーズに進行し、
部下から慕われれば、それは良い状態
である。しかし、上司から嫌われ、
秘密裏に(あなたの)解雇や左遷を計画
されたり、部下から軽蔑されたり、
地位を狙われたりすれば、あなたは
表向きは我慢して平静を保っていても、
心の中では「血を飲むような苦しみ」
を味わうはずである。
あるいはまた、同じ職場で働きながら、
非協力的な人がそばにいたり、仕事上
の大事なことで、密かに異なった画策
をする人などがいれば、同様の苦しみ
が生ずるであろう。中間管理職を含め、
社会の指導者層の多くが、経験する
苦しみである。
その結果、仏性は、あなたの周囲に
いる人達や、会社で接触する人達が、
あなたに対して「好感」を持つように
させるのである。またそのために、
あなたが仕事上のミスを極力しない
ように、現象の動きを誘導し、あなた
をサポートすることもある。誰の心に
も、どの現象の動きにも、仏性は
備わっているので、仏性はそのように
することができるのである。

ただし、「ミスとか事故」については、
あなたは仏性に頼る(依存する)ことは
決してできない。まず、あなた自身が
「絶対にミスも事故も起こさない」と
いう強い決意を持つことが大事である。
そうしてミスや事故を起こさないよう
に真剣に行動し、また、仕事すれば、
仏性はあなたを、上のような形で、
必ず守ることであろう。
また、仏性は、必要とあれば、あなた
の存在をベールで覆ってしまうことも
ある。そうして周囲の人々の心の中で、
あなたの存在が気にならないようにし
てしまう。そうすれば、あなたはより
安定した心が得られ、集中的に自分の
仕事に専念することができるからである。
あるいはまた、あなたが職場で接触する
人を入れ替えてしまうこともある。 
悪質な人やあなたと相性の合わない人を
遠ざけて(あなたに)接触しないように
させ、良い人を来させて接触させる
ようにアレンジする。

ただ時折、仏性は悪意のある人が
あなたに近づくことを止めない場合が
ある。これは、仏性が「悪意のある人
をあなたに近づける」のではなく、
悪意のある人があなたに近づくこと
を、仏性はあえて止めないのである。
仏性はそれを止めようと思えば止めら
れるが、あえて止めない。
言葉を変えれば、広い現象界の中で、
仏性はその部分だけ少しだけ門戸を
閉めないで、開けておくのである。
門戸が少しでも開いていれば悪・悪人
は必ず入ってくる。そして
あなたに接触してくる。そして
あなたが持っているものを狙って、
柔らかい形であなたに接触して
来るであろう。
仏性がなぜ、そのようにするかと
いうと、あなた自身にその悪意の
ある人の悪意を見破り、それを
防ぐ力が十分にあることを知って
いるからである。仏性はあなたに、
悪に対しては強くなってもらいた
いのである。その接触を通して、
あなたに見事に悪を処理して、
強い心、強い力を養ってもらい
たいのである。

以上語ったように、仏性はその他、
ケースバイケースで様々な方法を
適切に用いて、あなたの人間関係
を適切に擁護し、サポートする。  
仏性は最終的な目的として、
あなたに「強い善の心」「強い
善の力」「安定した心」を獲得
させたいのである。そしてあなた
が「集中力を発揮して仕事を
できる状況」を作り出したいの
である。その実現のために、
必要とあらば、仏性はあなたを
取り巻く人間関係、会社状況や
社会情勢、天候まで変化させ
再編成する。

問い

行為①と行為②の関係について
詳しく知りたい。両者の行為の
効果の違いについて解説されたい。

 

その質問に答えるにあたって、
①の慈悲行は忍耐力と一体となっ
ている。
そのことを踏まえて、両者の
基本的違いは、

Acts ①は慈悲忍耐力を中心に
行う行為である。
Acts ②は智慧を中心に行う行為
である。
Act①の慈悲の行為の働きは
「よく立て、よく富の源(みなもと)
を植える」である。  
Act②の智慧の行為の働きは
「よく破し、よく導き、
よく転換する」である。
従って、あなたがAct①の行為で
新しい状況を作れば、Act②の行為
がその状況をよく維持、発展させる。
故に、Act①が問えば、Act②が
よく答える。
逆に、②の行為だけであると、
維持・発展させるものが何も無い。
故にAct②が問えば、Act①が
よく答える。

慈悲心を発する時、なぜ忍耐力が
必要となるのか

問い

「行為①の慈悲心は、忍耐力と
一体」とあった。なぜ慈悲心を
発するのに、忍耐力が必要となる
のか。

慈悲心を発する時、あなたがもし、
ある特定の人物に対して、反感を
抱いていたり、嫌っていたり、
怒っていたり、していた場合、
「一切衆生に慈悲を発する」こと
は極めて困難になることがある。
なぜならあなたは「もし私が
一切衆生に慈悲心を発すれば、
その慈悲心は、回りまわって、
その嫌っている相手の幸福を
願うことにつながる」と考える
からである。
「それはとてもできない」
「絶対、いやだ !」と、あなたは
言うことであろう。
このように、慈悲心を発する時に、
「反作用の心」が働くことがたま
にある。従って、それが働いた時に、
忍耐力がよく力を発揮するのである。
そして(あなたは)忍耐力によって、
その場の感情を抑え、冷静になる
ことができる。冷静になれば、
あなたは Act②の智慧を働かせ、
慈悲心を発することの正しい意味
も深く考えられるようになる。
あなたは「私が慈悲心を発すること
は、あの人が、私が好感を持てる
ような人に変化し、成長すること
を意味する」と、考えることが
できるようになるであろう。
そうすれば、あなたは気持ちよく、
一切衆生に慈悲心を発っし、
慈悲行を実行することができる。

上で語ったような ”反作用の心”の
ことを、総称して「煩悩――Bonnō
と呼ぶ。人の精神を煩わせしめる
心の作用のことをいう。
煩悩は、あなたが善を行ずる時
などにも、よく発生する。
煩悩は基本的に「貪、瞋、痴、慢、
」の五種類が存在する。
基本的にこれらの煩悩を治療する
のは Act②の智慧力である。
智慧は煩悩をよく破し、それら
を良い方向にリードし、
「前進のエネルギー」に転換する。
こうして智慧の働きは、ここでも
Act①の慈悲行と忍耐力をよく
サポートするのである。先に語った、
智慧の主要な働きは、「よく破す、
よくリードする、よく転換する」を
思い起こしてもらいたい。

仏性と人との関係は
契約によって
成り立つ

以上語った理由により、Act①とAct②
の二行を行うと、仏性はその個人が
より幸福になるような形で、現象
世界の全体を再編成し出す。ただし、
より正確に言えば「仏性はその個人
が行なった善行の質や量に応じて、
現象世界を再編成する」。つまり
あなたが仏性に適う行為を 行じた
分だけ、仏性はあなたをサポート
するのである。
なぜなら、人と仏性との関係は、
あくまで「契約」だからである。
この関係は契約によって成立する
のである。あなたが強大な仏性
の力や働きを、自分を含め皆の
幸福のために働かせたいと思う
のであれば、あなたはこの契約を
成立させなければならない。
また、成立させるために行動し
なければならない。契約を成立
させれば、あなたは仏性をその
ような方向に動かすことが
可能である。「仏性との連結」
についても同じことが言える。

それでは、市民の一人ひとりが、
日常の中で行う一般的な善の
行為や職場で行う「客に対する
丁寧なサービス」、あるいは
ボランティア活動などの場で
行う善意の行為などは、どうで
あろうか?
また、人々がそれぞれの専門
分野の職場において為す仕事は、
どうであろうか?
これら行為は、仏性の意向・
願望に適(かな)うであろうか?
また、一般的な知識や情報を、
より正確に編集して、優れた
情報としてまとめるような
知的作業はどうであろうか? 
あるいは真理を探究する
作業は?
それらは仏性の意向・願望に
適うであろうか?
もちろん、これらの善行や
知的作業も、仏性が持つ慈悲
の意向・願望に適う。従って、
それらの仕事は、積極的に
続けた方がいい。

しかし、もしあなたが、それら
の仕事だけで「不十分さ」を
感じたら、上のAct①とAct②の
二つの行為を行ずるとよいで
あろう。この二行は、仏性の意向
・願望と一致して、あなたが
日々行ずる上のような善行の力
を、拡大・強化させるので、
あなたの感じる「不十分さ」は
解消され、あなたを取り巻く
種々の問題は、それらの力に
よって解決するであろう。

また、Act②の仏性についての
情報を検索したり、正しく書き残
したり、人に語ったりするため
には、その情報源が必要となる。
それをどこに求めればよいか。
その時は、このウェブサイトを
活用することをお薦めする。

 Passive所成とActive能成
の区別

これまで私は、仏性について語る
にあたって、構文の中で例えを
引き、 あたかも仏性が、あたかも
人間のように「意思とか願望を
持つ存在」のように語ってきた。
その理由は、そのように語らなけ
れば「それが契約である」という
事実を、うまく伝えられなかった
からである。
しかし、実際は仏性は「意思を
持つ存在」ではないのである。
なぜなら、 仏性の特性は、
あくまで「法」だからである。
法に人が持つような意思と願望
は無い。
この場合、「法」と「意思を
持つ人間」の間には
所成(しょせい)と能成(のうせい)」
という区別が存在する。所成とは
「外から働きかけられて成立
する性質」である。能成は逆に
「自ら働きかけて成立する性質」
である。

ShoseiとNousei
Shoseiの「Sho」はPassiveの

意味で、「sei」は成立するの
意味である。従って両方合わせ
て「外から働きかけられて成立
する性質」になる。Nouseiの
「Nou」は Activeの意味で、
「sei」は同じく成立するの意味
であるから「自ら働きかけて
成立する性質」 になる。

仏性は法であるから、前者の
「所成」なのである。従って、
能成である「人の智慧と行動」の
働きかけを受けないと、その存在
は成立しない。 従って、仏性が
どのように強大な力と勝れた力を
有していたとしても「人からの
働きかけ」が受けなれければ、
それらの力は永遠に発揮される
ことはない。
一般的に法の性質というのは、
そのようなものである。
たとえば、先に取り上げた科学
の法や医学の法は、それらだけ
があっても力は発揮されない。
科学者や医師の智慧と行動力が、
Activeにそれらに働きかけて、
初めてそれらの法の力は発揮
される。社会の法律も同じで
ある。社会に法律だけがあって
も、「法律を守る」という人々
の積極的な決意と行動がない
限り、法律の力は社会に
発揮されることはない。

仏性も同じである。仏性は法
であるので「人の智慧と行動の
働きかけ」を受けて、初めて力
を発揮するのである。
あなたが国際社会や世の中で
強い効力を発揮する仏性という
法を用いる時は、この「法と人」
の関係をよく踏まえる必要が
ある。

仏性の本質的特性は慈悲

問い

しかし、先ほどあなたは、
「仏性は人々や社会を幸福に
導きたいと考え、望んでいる」
と言った。仏性に、このような
願望とか意思が無ければ、人が
いくら善意の善行を行じても、
契約は成立しないのではないか。

仏性には、人が持つような願望
や意思は無いが、仏性の本質的
特性は「慈悲」なのである。
このことを例えをもって語れば、
世の中にある法は、すべて人々の
生活とか幸福に役に立つ方向で
作られている。たとえば政治・
経済の法、あるいは様々な形の
エネルギーを発見し、その使用
を可能にした 科学の法も同じで
ある。
もし、それらの法の内容に不備
があったり、法に対する取り組み
方に誤りがあれば、その方向に
――人々の幸福に役立つ方向に
――改善される。その理由は
「人の幸福に役立つ」ということ
が、社会法や科学の法の使命で
あり、役割だからである。また、
そのことが同時に、それらの法
の「本質的特性」となっている。

同じように、仏性の法の本質的
特性も「慈悲」なのである。
これは仏性が持つ、もともとの
特性である。従って、人がその
慈悲の特性に適うような形で、
行動し智慧を発揮すれば、仏性
との連携は実現し、仏性の力を
発揮させることができる。また、
「そのことができる」ということ
が、経験的な証明となって、
(あなたは)仏性の本質特性が
慈悲であることがわかる。
また、このような形であっても、
先ほど語った「法と人の行との契約」
ということは  維持される。

Passiveな法とActiveな智慧
の両方が自分の中にある場合、
どう行動するか

仏性という「一切現象世界の
本源の法」は、外の現象世界の中
にも存在しているが、自分の心の
中にも存在している。仏性(本源の法)
が自分の中に存在することを考えた
場合、自分の心の中に「Passiveな
仏性の法」と「その法にActiveに
働きかける行為」の両方が存在する
ことになる。その場合の行動の仕方
について、ここでは語る。
その経過は主に次のようになる――

初めに「仏性という法が自分の中
に存在する」という事実は、それが
存在するという情報と知識に接して、
(あなたは) 初めて知ることができる。 
次に、それが存在することが
わかったら、「自分が日々の生活や
仕事の場で行ずる善行」と「Act①と
Act②の慈悲と智慧の行為」によって、
仏性の法に働きかける。そうして、
その法の宝庫の中から宝と力を
引き出す。
その場合、法は宝庫で、宝と力に
満ちているが、それらはあくまで
Passiveな存在であるから、
Activeな人の行為のアプローチ
を受けないと引き出すことが
できない。両方が自分の中に
あっても、この原則に変わりは
ない。宝庫が自分の中にある
からといって、何もしなければ、
宝は引き出せないままである。

次に、(あなたが行動によって)
法の宝庫から宝と力を引き出すと、
それらの力(効力)は内外の多くの
問題を解決させ、あなた自身を
幸福に導くことであろう。※

※この経過の中で注意
すべき点は、宝と力は
あくまで「法」の中に
存在する点である。法は
宝庫なのである。それに
対して人の善行と慈悲と
智慧の行為 (Acts①と②)
の役割は、法の宝庫の扉
を開き、宝と力を引き
出すことにある。

以上の経過は「Activeな人の行為」
と「Passiveな法」の両方が、
自分の中に存在していて、
その両方の存在をよく認識し、
それらをうまく(巧みに)誘導し
て、力を発揮させていく経過
である。
この経過を踏まえて、さらに
次の専門的なステージに進む。
上で語った経過を専門的に語る
と、この経過は次の5種類の
経過に
分類されるのである。

1 名    ―― Name

2 本体 (法の本体の意) 
    ――  Main body

3 宗 (必需品) 
    ――  Essentials

4  (効果)――  Effect 

5 情報の識別   
      ―― Identification of  
                information

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